神社の謎・そのルーツは古代イスラエルの幕屋にあった!

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2008年 12月 25日

神社の謎・そのルーツは古代イスラエルの幕屋にあった!

2005年2月8日に、「古代出雲イスラエル王国の謎」というタイトルで、著者小石豊氏、発行所・学習研究社が第一刷を発行された。
その中で、小見出し=ダビデの星を刻む石灯籠=のページに、皇室の為の伊勢神宮の参道の石灯籠にダビデの六芒星のマークが刻印されていると言う説明と、次の様な、伊勢神宮元伊勢の真名井神社の手前脇の碑にダビデの杜紋を載せておられた。
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2007年12月、島根、京都を廻って来た折、私が、ここ真名井の神社に詣で、その碑の杜紋を見て驚いた。
ダビデのマークが消され、新たな左三つ巴のマークが刻印されていたのである。
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碑は紛れもなく全く同一であった。
大体、神社が碑を作るのに、自社の紋を間違える筈があろうか!。
この本の発行以後2年10カ月の間に、若しかして発行直後かもしれないが、何らかの圧力を受け、修正させられたに違いない!と想像するに難くはない。
何せ、元伊勢、伊勢神宮の故地であるが故に・・・。
しかし、ダビデの紋だからと言って、何か不都合でもあるのであろうか!
・・・であるから、逆に神社はイスラエルの幕屋を真似た証明になろう!というものである。
それにしても・・・・・・真実を消して、なにを隠そうとするのであろうか!

蛇足であるが、PHP研究所2008年11月発行「古代日本 ユダヤ人渡来伝説」坂東 誠著にはラビ・マービン・トケイヤー氏の著書を引用して、この真名井神社のダビテの紋を紹介しておられたのであるが発行時点では左三つ巴マークにすり替わっていたのである。にも拘らず何故すり替わっていたかに触れられず、非常に片手落ちと言うか残念な気持ちで読ませて頂いた。
慎重なのか触れる事がタブーなのか不明であるが、私の様な遠く東北の田舎にいる興味ある素人にとっては著者の卓越した意見や見解などを是非聞いてみたいのである。この著書の意図や目的と違うのかもしれないが読者は興味を持って真名井神社のダビテの紋を確認に行くかもしれない。少なくても現在はすり替わっている事を伝えるべきである。…紙幅の関係でもない気がするのだが。

・・・と言うわけで、このブログを読まれる方は、その事実等を踏まえ、以下の、「神社の謎・そのルーツは古代イスラエルの幕屋にあった!」という、色々な方々の説の私なりの纏めのブログを御覧頂き度と願う。

[右の私のエキサイトブログの項目をクリックすると行ったり来たり出来ます。是非覗いて下さい。]
[尚、巨石やピラミッド山等について、 関心のある方は是非、「イワクラ学会」の「検索」をお勧め致します。
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# by yo-hamada3 | 2008-12-25 06:31 | 神社の謎・そのルーツは
2007年 10月 13日

神社の謎・そのルーツは古代イスラエルの幕屋にあった!

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神社のルーツ! 古代イスラエルの風習&幕屋を模した!
神社は、日本の至る所にあり、神社本庁所管で7万社、御分社と呼ばれる神社まで含めると、その数15万社とも言われるそうだ。驚く事に古事記以前にも4000前後の神社があったと言われている。
また神社の形式が殆ど同じである事に不思議を感じる。神社に行くと、鳥居?何で朱色?何故日本にいない動物・獅子がいる。何故角がある?何で馬がいる?神聖な拝む所に何で踊る場所(神楽殿)がある?何故二つの建物(拝殿と本殿)がある?注連縄・四手って何?何で屋根が千木?・・・何故、何で?単純に不思議に感じていた。
神社ってそういうものだ!と思えば疑問も起こらないのだろうが、納得しようと思えば不思議だらけで簡単に納得できないのである。

ロシア生まれイスラエル育ちで、8ヶ国語を話し、長年日本にて神道を勉強し、暫し神社に使えたヨセフ・アイデルバーグ氏は、著『大和民族はユダヤ人だった』の中で、神社の構造が、イスラエルの消えた十支族の移動神殿即ち「幕屋」の建立方法を規定したものである!と明快に言っておられる。
ラビ・マービン・トケイヤー氏は、著『日本・ユダヤ封印の古代史』で解説しているが、氏は日ユ同祖説の代表著作家であり、30年以上も前にユダヤ支族が日本にやって来たという説を発表しているのだそうだ。(蛇足だが、遺伝子の研究から証明されつつあるという。)
また私が知るこの研究の代表的方々の久保有政氏、鈴木旭氏、小石豊氏、飛鳥昭雄・三神たける両氏等々も、既述お二方同様、その移動式の組立式幕屋建築様式は日本の神社そのものであると言われている。只、鈴木氏は、神と仰いだのは山であり、ユダヤ教の起原は縄文人の原始的な自然信仰と全く同じであり、イスラエルにおいて発展し、完成したのち逆輸入された!とも考えられるとしている。鈴木氏は、いずれにしても神道とユダヤ教は双子の兄弟であることが確認出来るとしている。
こうした関連の書籍を読むと、イスラエル支族が日本に来て、やがて永住し、我等が祖先の一部となった!そして言葉・風習・習慣そして幕屋と神道の類似性、記紀の内容などからも、神社はイスラエル支族が作り上げたものである!と言う説を、肯定せざるを得ないのである。
神社は日本古来の独自のものだ!と言う意見は、何故、神社にそれが設置されたのか、いかなる理由に寄るものなのか?・・の明快な回答が得られず、どうしても納得いかないのである。じっくり掘り下げて考えてみれば、施設として、又、置かれている必然性がないような気がするからである。
夫々の理屈づけは後年付けられたものであろう。さもありなん!と言うような尤もらしい理屈付けは、如何様にも出来るのではないのか!
逆説的に考えれば、日本の神社の由来等を、イスラエルの幕屋説!に合わせる必要性は全くないのである。にも拘らず全てこれ幕屋説で説明できる事は何を意味するか!である。

そこで私のこのブログは、風習や儀式や言語やその他が、イスラエルと日本のそれが一致する点は棚上げして、ただ神社のみを取り上げ、神社施設個々の持つ意味、由来、何を表しているのか、等について纏めさせて頂いた。
因みに個々の施設とは、
               鳥居
               社務所
               狛犬
               賽銭箱           
               手水舎
               注連縄・鈴・紙四手
               拝殿・本殿・・・・祭壇&浄衣
               神馬
               神楽殿
               神輿
               千木 である。
マーク■印は、日本古来からの独自の神社説側からと、
マーク★印は、古代イスラエルの神社に繋がる風習を含む幕屋説側からと
を対比したものである。
私は確信を持って★イスラエル幕屋説側を支持するものなのである。
神社に行く度に、不思議に思っていた神社を構成している施設の謎も、★説で全てイスラエルの風習や幕屋から取り入れられたものである事が納得出来るのである。

尚、■&★についての説明書きは殆んど、下記参考文献・他から其の侭引用させて頂いている。
(只、著者が夫々参考・引用している文献等名は省略)
蛇足ながら、これら、参考にさせて頂いた本は、神社や・イスラエルに興味のない方でも、とに角面白い。
是非一読をお勧めする。

久保有政著:日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相
小石豊著:古代出雲 イスラエル王国の謎
ヨセフ・アイデルバーグ著(中川一夫訳):大和民族はユダヤ人だった
ヨセフ・アイデルバーグ著(久保有政訳):日本書紀と日本語のユダヤ起源
ラビ・マーヴィン・トケイヤー著(久保有政訳):日本・ユダヤ封印の古代史
久保有政著:仏教の中のユダヤ文化
鈴木旭著:日本超古代文明の謎
飛鳥昭雄・三神たける著:失われた古代ユダヤ王朝『大和』の謎
飛鳥昭雄・三神たける著:神武天皇の謎
小石豊著:日本人とユダヤ人の連合を世界が怖れる理由
坂東誠著:古代日本 ユダヤ人渡来伝説
清川理一郎著:諏訪神社謎の古代史
武光誠著:日本人なら知っておきたい神道
五島勉著:宇宙人謎の遺産
フリー百科事典『ウィキぺディア(Wikipedia)』
神社本庁HP・全国神社総代会
神社オンラインネットワーク連盟:神社と神道 

追記:平成20年5月記
[平成20年1月22日第1刷発行、「神道の中のユダヤ文化」(聖書に隠された日本人のルーツと神社・お祭の秘密)久保有政著、学研発行]を読ませて頂いた。
これには、このブログの神社の由来どころか、風習や儀式や言語やその他が集大成された形で、(全て網羅された)説明されておられた。このブログにご興味のある方は、是非ご一読される事をお勧めしたい。とに角面白く納得させられると言うものである。

改めて申し上げるがこの私のブログは、諸研究者諸氏が書いたものを読んで納得し纏めたものである。一言のヘブライ語が分かる私でもない。諸先生方の説を信じ支持し共鳴したものなのである。その事を先ず持って強調させて頂かなくてはならない。
 
《神のいる礼拝所の事をヘブライ語で★「ヤーシロ」と言う。
         日本では、神社の事を、■おヤシロとも言う。》
       ・・・ さぁ!では「鳥居」から始めよう!
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# by yo-hamada3 | 2007-10-13 18:11 | 神社の謎・そのルーツは
2007年 02月 08日

鳥居

再度為念、以下、説明の頭にある■マークは古来の独自の神社説、★マークはイスラエル風習&幕屋説、の比較マークであるのでご承知を!
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■トリイの語の起原や意味は明快に理解されていない。
韓国や中国にもない日本独特のものである。最も古い形は、左右二本の柱のみだった。
二本の柱の上に注連縄を渡したものであった。
レバノン杉と同じように虫の食わない堅い檜が用いられた。
伊勢神宮などの様に正殿の鳥居は要所要所金で覆われているものもある。。
とにかく門であり、一般地と境内地の境に立てられ、くぐらないと神社に入る事が出来ない。神様をお祀りする神聖で清らかな場所を表すシンボルとして鳥居がある。
鳥居の起源については、一説によると天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸隠れのとき、鶏(常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり))を止まり木にとまらせて鳴かせたところ、それによって大御神が岩戸から出てこられたことから、以後神前には鶏の止まり木をつくるようになり、それが鳥居になったといわれている。 また、語源については、「通り入る」とか「鶏居(とりい)」という言葉が転化したものといわれている。又インドの仏塔の門であるトラーナを真似た物だとかの説がある。
又、特に稲荷神社の鳥居は朱色であるが、朱色は生命の躍動を表すと共に、古来災厄を防ぐ色として重視されてきたと言われる。

★ソロモンが神殿を建立した時、神殿の入り口に左右二本の太い柱を立てた。
その高さは35キュビット(15.75m)あった。建築にはレバノン杉の木材が大量に使われた。
その木材の上を金で覆っていた。このレバノン杉をエルサレムまで海路、陸路を搬送した大事業は,今に当時の光景を残す諏訪大社の「御柱祭」ではないか!と思われる。
柱に彫刻された「女神アシェラ」は、言い方が「ハシラ」にそっくりである。
朱色に塗られた鳥居は、「出エジプト」の時に子羊の血を入り口の鴨居と門柱に塗った事が旧約聖書にある。
(所謂、過ぎ越しの行事)
又、奇妙な形の三柱鳥居があるが、ネストリウスキリスト教が渡来した名残をとどめる遺跡!と由緒にある。
又、鳥居という名はアラム語で、「門」の意味「TARAA」が訛ったものではないだろうか!
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# by yo-hamada3 | 2007-02-08 06:24
2007年 02月 08日

社務所

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■お払いの受付、御礼の受付管理、施設の維持など諸々の事務を司る所が社務所である。

★ 幕屋の内庭の左側に全ての事務を司る屋舎、それもズバリ、日本の社務所とその目的も全く一緒の
「シャマシュ」が設けられていた。
「シャムショ」(社務所)は、「シャマシュ」(SHAMASHUT)が訛ったものではないか!
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# by yo-hamada3 | 2007-02-08 06:21
2007年 02月 08日

狛犬

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■神として拝む事は無い。狛犬は神社の入り口や拝殿の前などに置かれている一対の獣形像をいう。
狛犬の原形はオリエント、インドにおけるライオン像で、それが中国大陸そして朝鮮半鳥を経て渡来した。前は、朝鮮半島の高麗から来た犬というので、高麗犬=狛犬と言ったという説があったが現在は既述の通りである。
狛犬は、守護と魔除のために置かれている。
向かって右側が口を開いている姿で「阿形」(雄)、左側が口を閉じている姿で「吽形」(雌)と言う。

《俗説であろうが、女性はしまり屋だから口を閉じている「吽形」が雌と言うのは取って付けたようでナンセンス。》 

★イスラエルソロモン神殿内の礼拝所入り口の両側には、獅子と一角獣の像が据えられている。
獅子は南朝ユダ王国2支族を表す「ユダの象徴」であり、北朝イスラエル王国10支族を表す野牛の一角獣=ユニコーンが「イスラエルの象徴」なのである。
神道学者は、狛犬が中近東から来た事を認めている。
これは、中近東の古代神殿から、日本と同じ狛犬が多数発見されているからである。
阿吽の元は、へブル語・ギリシャ語の「アーメン」(本当です)から来ているもので、インドに入った時、サンスクリット語で「オウム」(AUM)と言う言葉になり、その「A・UM」が阿吽になったものである。明快である。

《古代神殿遺跡の発見からも神社の由来は明らかではないだろうか。》
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# by yo-hamada3 | 2007-02-08 06:12
2007年 02月 08日

賽銭箱

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■元来「賽銭」とは、祈願成就のお礼参りの際に、「報賽(ほうさい)」として神仏に奉った金銭のことをいった。 それが転じて、参拝のときに奉る幣帛(神さまに奉献する物)の代わりとしての金銭を意味するようになった。賽銭とは供え物の一種なのである。
金銭が流通する以前は、参拝者は(金銭に相当する物として)米を神前に撒いたり、あるいは洗米を紙に包んで奉っていた。
今は、米の代わりに金銭を紙に包んだり、直接賽銭箱に入れている。
つまり、元来は供え物を入れていた箱なのである。

★古代イスラエルの神殿には、「・・初期には無かったが、後、賽銭箱が置かれるようになった・・・」と聖書に書かれている。BC9頃に献金箱が置かれるようになった!とある。
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# by yo-hamada3 | 2007-02-08 06:06
2007年 02月 08日

手水舎(たみずや)

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■入り口付近には手水舎(鉢)がある。
水飲み場ではなく手を洗って禊をして、心身を清める為の場所である。
祭典の奉仕員、参列員、参拝者はいずれも斎戒沐浴して神の前に出る。
水がない場合は草木の葉、雪等で手をこすって清める場合もある。
昔は足も洗ったと言う。

★古代イスラエル神殿において、内庭に「洗盤」または「青銅の海」と言われる禊の場があった。
現在もユダヤ教会堂には入り口近くに手を洗い清める為の場所があり、水の栓がずらり並んでいる位である。

《全く使用できない形だけの手水鉢があるのは幕屋の構造を忠実に形式化したからである。》
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# by yo-hamada3 | 2007-02-08 06:01
2007年 02月 07日

注連縄・鈴・紙四手(紙垂)

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■注連縄と紙四手は聖と俗を区別する境である。内側が聖域・神域なのである。
注連縄は、大蛇を表している。日本書紀によると三輪山の蛇神であるとされている。
巨大な注連縄などは大蛇に見立てて拝殿の前に張っているのである。
鈴は、金色の鈴から縄が下がっていて。参拝者はそれを揺らし、鈴を鳴らしてから祈る。祈る時2度手を叩き(柏手)、お辞儀をする。
古来から鈴には魔除の霊力があるとされ、それが転じて、参拝前や神事のときに鈴を鳴らすようになった。神さまを拝礼するにあたり、鈴のその清らかな音色で神霊の発動を願い、これから清らかな心持ちで祈願を申し上げるという、一種の合図のような役割を果たしているのである。巫女が神楽舞の際に用いる神楽鈴も同様の意味を持つと考えられる。
又、呼鈴の役割もあり、自分の存在をアピールするものでもある。
紙四手は麻(あさ)で穢(けがれ)を祓い清めていたようだが、のちに楮(こうぞ)から作った木綿や和紙を用いるようになって、後世になると、この紙を榊の枝に付けて清浄の証とした。玉串、祓串、御幣に付けた場合は祓具としての意味だが、注連縄に垂らして神域・祭場に用いた場合は聖域を表す印となる。神域の境界の縄を他の縄と区別する為に四手をつけるようになったとする説もある。

★古代イスラエルの大司祭の裾には金の鈴が付いていて、祈祷や奉仕活動する時、その音が、彼が決して死なない為であったと言う。
又、大司祭がお神酒を注ぐ為本殿に入る時、鈴を鳴らし、手を叩き、祈り、供え物を捧げたという。
この様に、手を叩く風習があり、聖書によれば2箇所「誓う」と訳されている言葉は、ヘブル語(ヘブライ語)で、「手を叩く」と言う意味である。
お辞儀も風習であり、ユダヤ人は祈る時、又、ラビはトーラーの前でお辞儀をする。
イスラエルの民がシナイ山で見た光景を、出エジプト記で、「・・3日目になると山の上に雷と密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので宿舎の中の民は皆震え上がった・・・」と記されている様に、
注連縄は、イスラエルの民がシナイ山で見た雷雲を表し
紙四手は、稲妻を象徴し、鈴は、雷の音、即ち雷鳴を表しているのである。

《★はシナイ山の光景をイメージしたものであるに対し、■は、日本古来の独自神社と言ってるにも拘らず、四手のギザギザの意味が神域を表すとは明快ではない。》
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# by yo-hamada3 | 2007-02-07 22:41
2007年 02月 07日

拝殿と本殿・・・(祭壇&浄衣)

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拝殿と本殿
■拝殿と奥の院・本殿がある。
拝殿は、祭祀・祭礼を行う為の社殿である。
本殿は、神が宿るとされる神体を安置する社殿の事である。
拝殿の前で祈り、本殿は神官のみが特別な場合だけ入る。
本殿は拝殿より一段高い所にあり階段で結ばれている。
東から日が昇るので、東向きにあるいは南向きに立てられている。
本殿の中には、依代(よりしろ)と呼ばれ、神の降臨する物である事を示す為に、鏡や御幣、石、剣などが置かれている。
拝殿に灯火、机の上に供物が置かれ更に神前に捧げるお神酒が欠かせない。
日本にはお供え物を入れるための台・「三方」がある。
拝殿の奥には鏡がおいてあるが、自分を映して誤りがないか判断するのである。
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★聖所と至聖所があり、聖所には祭司しか入れず、至聖所は大祭司が年に一度入る事が出来た。至聖所は、一段高い所にあり、2、7mの階段があった。
東向きで、神の栄光が東の方から現われるという信仰に基づく。
至聖所には契約の箱があるが「三種の神器」(十戒石版、マナの入った壺、アロンの杖)入っているが一種の依代である。
聖所にメノラーと呼ばれる燭台、机の上(祭壇)に供えのパンが置かれた。
大司祭が本殿に入り神前に酒を捧げた。
日本の「三方」が、幕屋で用いられた祭壇とそっくりなのである。
中東で出土した祭壇は、
写真(久保有政著:日本の中のユダヤ文化=学研)
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の通りだが、三方と全く同じではないか!
又、十戒石版の性格は、人が読んで、自分の行為や生活が正しいかどうかを判断をする為の神器である。
神社の鏡と趣旨は同一である。
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神職の浄衣
■烏帽子をかぶり純白の衣を着ているが、この装束を「斎服」または「浄衣」と良い、特に浄衣には衣の裾に4つの房が付いている。浄衣の原型である狩衣の由来では、狩をする際に袖をくくるための物であるので、それに習ったものであると考えられる。

★ユダヤ教では、祈りのシュールを「タリット」と言い、その四隅には「チトズイット」という房が付いている。
結び目の数も決められていて、神の臨在を象徴しているもので、祈る時には握って集中して祈るものである。又大祭司の裾の房に付けられた鈴の音で動きを判断したという。
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# by yo-hamada3 | 2007-02-07 22:20
2007年 02月 07日

神馬

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■日本では古くから、「神馬」と呼ばれ、神様のお使いとして、又幸福をもたらす瑞相の馬として、そして神さまの乗り物として馬が神聖視され、お祭りや祈願のときには、太陽神・天照大神に対して生きた馬を捧げ、奉納して来たのである。
月に3度、布を被せられて聖域に出されお辞儀をする、古くからの習慣で、奈良時代にはあったもの。管理が大変になった為、その代わりとして、板に馬の絵を描き奉納するようになったのが絵馬の起源とされている。
木や石や土などで作った馬の模型を奉納したり絵馬を額に入れて飾ってある神社も多い。
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★神馬を置くというのは、古代イスラエルの風習である。
イスラエルは歴代の王が太陽に馬を捧げるという風習を行って来ていた。
聖書に一箇所だけ、記述されているとの事であるが、「南王国ユダの王「ヨシヤ王」は、太陽に生きた馬を捧げる!という風習を、神殿の入り口から取り除いた」と言う、謂わば宗教改革を行ったと記されている。
それまでは馬が捧げられて来たものである。神社の神馬はその証である。

《■日本古来の神社だとするなら、神社に馬を置く!と言う発想自体が疑問ではないだろうか!
イスラエル支族の馬や羊(群馬県の羊太夫碑からも)の持込があった故の事と思う。》
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# by yo-hamada3 | 2007-02-07 22:03
2007年 02月 07日

神楽殿

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■神様に奉納する舞を、舞う舞台である。                        
人々が土地に神座を設けて神を降ろし、人の長寿・幸福を祈り、「鎮魂」や「招魂」の呪術を行ったものに由来する。従って、その名の通り神楽を舞う場所、即ち、古い信仰に発し、神事の内容を豊かにする神事芸能をする舞台として常設されたと考えられる。
   
★ダビデは、いつも着ている豪勢な制服を脱ぎ、身軽でシンプルな服装になって、契約の箱の前で踊った!と記されている通り、これが、神に奉納する神楽になって、別棟として、神楽殿が作られたものである。
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# by yo-hamada3 | 2007-02-07 15:56
2007年 02月 07日

神輿

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■神輿は、祭礼にあたり、御神体あるいは御霊代(みたましろ)がお乗りになる輿(こし)のことをいう。
移動式神社として、白い祭祀服で神輿を担いで町を練り歩き、稚児行列や踊りを踊ったりして、神様に捧げ、五穀豊穣を祈ったり、無病息災をお願いしたりする祭りである。
神輿は、上部に翼を広げている鳳凰と呼ばれる金の鳥の像が付いているが想像上の鳥である。
因みに、わっしょい!わっしょい!の掛け声は、古代朝鮮語「来ました!来ました!」と言う意味である。

★契約の箱は、長さ113cm、幅、深さ68cmの長方形の箱で、担ぎ棒は箱の基部に取り付けられレビ族が担ぎ、エルサレムの神楽の音の鳴り響く中、契約の箱と共に(一種の移動式神殿)、町を歩き、その前で踊って歩いた。
契約の箱は金で覆われていて上部に天使のケルビムが翼を広げている。
ダビデは、白亜麻布の衣をまとい、担ぐ全ての人達も同様であった。
神輿はヘブル語で「聖所」を意味する「ミコダシュ」と言うが、これがミコシと訛ったものではないか。
神輿を担ぐ風習は、世界に日本とイスラエルの2つしかない。
担ぐ時の掛け声の「エッサー」「エッサー」は、ヘブル語で『上げるぞ!』『上げるぞ!』の意味であると言うし、更には又、ダビデの父の名前“イエッサ”を呼ぶ声「イエッサ」「イエッサ」が訛ったものに他ならない!と言う方もおられる。

*五島勉氏は、「宇宙人 謎の遺産」で、契約の櫃はデニケン説(未来の記憶)を支持し「蓄電池」だったという立場を取っている。
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# by yo-hamada3 | 2007-02-07 15:31
2007年 02月 07日

千木

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■神道神社のシンボルで、一般家庭の屋根と画している。
千木の起源は、日本の古代の住居(三本の木材を交差させたものを二組作り、それを建物の両端に立てて、その交差部分に棟木(むなぎ)をかけ渡した構造)の建築様式からきたとされている。
「大祓詞」の中に、「高天原に千木高知りて皇孫之命の瑞の御殿仕へ奉りて」とあり、皇孫である天皇のため千木が高くそびえた立派な御殿を設ける事が記されているように、象徴的な意味があると思われる。
この建築様式の場合、交差した木材の先端は屋根よりも高く突き出ている。
その部分が、のちに千木といわれるようになったと思われる。
千木は、屋根を支えるための大切な構造材だったのある。
一般の家では神社に敬意を払い千木を屋根につける人はいない。
某焼肉屋さんは不敬ではないだろうか!

★移動幕屋の聖所、至聖所の屋根の柱にはV字型に組合わされた突起部分がある。 
家族が入る天幕が支族毎に分かれて整然と並んでいた。この天幕の屋根の突起部分のイメージが神社の千木になったのである。
又「契約の箱」に翼を広げた天使「ケルビム」を象ったのが千木である可能性もある。
「出エジプト」の時の集団の数は壮観であったろう!

以上の如く、神社の全ての施設が、イスラエル風習や幕屋の構造から持ってきたもので、その設置の意味、由来、理由等を明快に説明できるのである。日本古来の独自の神社といわれるが、後ではその設置の意味づけは如何様にでもなされるものなのである。
さて、皆さん!あなたは■派?それとも★派?どうでしょうか!

神社での小正月の左義長!所謂、どんと祭についての特異な掛け声のルーツ?のブログを立ち上げました。
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# by yo-hamada3 | 2007-02-07 11:38